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「スタン」は本当に危ない?? 知られざる超親日国 ウズベキスタンの魅力
ウズベキスタン、と聞いて皆さんはどんなイメージを思い浮かべますか?
「どこにあるの?」「スタン?危なそう…」
もしかすると、高校で世界史を勉強した人なら、
「青の都サマルカンドだ!」「シルクロード!」
こんなことを思いだすかもしれません。
今回は、私が20か国に渡航して初めて「みんなにオススメしたい!!!」と思った国、ウズベキスタンの魅力について書いていきます。
「今度ウズベキスタンに行くんだ〜!」と友達や家族に言うと、100%の確率で
「えっ!?危なくないの!?大丈夫???」
こう返されました。皆さんも友達が行くと言ったら、きっと同じことを言うのではないでしょうか?
わかります。「スタン」と聞くと、自動的に「危ないところ」と脳内で変換されますよね。
確かに危ない「スタン」はあります。
外務省が出している海外安全情報の危険地図を見てみると、こんな感じになっています。
出典:外務省 海外安全ホームページ|欧州(ロシア・NIS諸国)地域海外安全情報 (2019.5.13閲覧)
アフガニスタンは見事に真っ赤ですね…。パキスタンも国境を中心に危ないようです。 ウズベキスタンと聞いて、この地域の専門家でない限りだいたいの日本人が「あそこらへんかな」と同時に想起するのが、同じく真っ赤なシリア・イラクあたりでしょう。でもここ意外と遠いですよね。 肝心のウズベキスタンはどうでしょう?黄色ですね。しっかり注意していれば大丈夫な範囲です。ちなみに白いのはどこらへんかというと欧米です。が、近年はテロが活発ですし、要はどこに行っても死ぬときは死ぬということではないでしょうか(笑) ウズベキスタンが予想に反し意外と危なくないということがわかったところで、基本情報からご紹介します!ウズベキスタン基本情報 国名:ウズベキスタン共和国 首都:タシュケント 人口:3000万超(これは中央アジア人口の半数以上にあたる) 公用語:ウズベク語 宗教:イスラム教90%以上、そのほかロシア正教、ユダヤ教など 民族:ウズベク人80%、ロシア人、タジク人、カザフ人など 地理:大陸性気候で一年中乾燥しており、寒暖差が大きい。夏は40℃、冬は−40℃になることもある。
旧ソ連国であり、今でもその影は色濃く残るように見受けられました。公用語はウズベク語となっていますが、おじいちゃんおばあちゃんは今でもロシア語を話していました。 宗教に関してはイスラム教が大多数ですが、あのイスラム国のような過激派・原理主義者はいません。女性も髪や肌をそれほど隠さず歩いています。これも信仰の自由がなかったソ連の影響でしょう。 ウズベキスタンの歴史は古く、なんと紀元前1000年ごろにはすでにイラン系遊牧民が支配を開始していた記録があります。内陸国のため、現代にいたるまで様々な攻防が繰り広げられ、絶えず人は行き来し、国境は変わってきました。モンゴルに支配されたこともあれば、サマルカンドの名が出てくるのはティムールが一代で巨大帝国を築き、首都に定めたときです。サマルカンドは文化の交差点と呼ばれ、シルクロードの一大都市として繁栄を極めました。 私が現地でお世話になったドライバーさん曰く、今でも特に首都タシュケントは人種のるつぼだそうです。いろんな人が確かにいましたが、私が目にしたところではみんな仲良く争わず暮らしているようでした。歴史的に自分と違う見た目・言語・宗教の人がそばにいることは、何ら珍しくないのでしょう。 いよいよここからは、そんなシルクロードの国ウズベキスタンの魅力を紹介していきます! 歴史遺産 先ほど紹介したように、ウズベキスタンは長く多彩な歴史を持つ国です。そのため、多くの街や建造物が世界遺産に登録されています。大多数の観光客がこの遺産を見たいがためにウズベキスタンを訪れることでしょう。私もそのうちの一人でした。特にサマルカンドは青の都と呼ばれ、綺麗な遺跡が有名ですよね。 私は6日間の旅行で、タシュケント・サマルカンド・ブハラの3都市を周りました。 タシュケントについては、ソ連時代の1930年、サマルカンドに代わって首都になった都市です。意外と最近で驚きますよね。このため街は首都機能がある新市街がほとんどで、遺跡がある旧市街はほんの少しだけといった感じです。新市街は整備された近代的な都市です。私は旧市街には行かなかったので、今回は遺跡の紹介を割愛します。 【サマルカンド】 サマルカンドはウズベキスタンで最も有名で旧市街も大きい街です。さっそく写真を使いながら、悠久の歴史を感じさせる遺跡たちをご紹介していきたいと思います。ちなみにこれから紹介するものすべてが世界遺産です。 ☆レギスタン広場 もっとも有名でよく見る遺跡です。「レギスタン」とは「砂の場所」という意味を持ちます。3つの建物はすべてマドラサ(イスラーム神学校)で、向かい合って建っています。 これは1400年代に建てられたものです。日本でいうと室町時代です。600年も前のものをこの目で見られるって日本では考えられないことですよね。 建物の敷地の中に入るとこんな感じです。映えますね。模様が本当に細かいですが、一つとして同じ模様の建物はありません。 入場料は一つ一つの建物にかかるのではなく、広場に入る時に一括して取られます。一概してチケットは翌日や翌々日も使うことができるところが多かったので、買うときにしっかり説明は聞いてみてください。 ☆ティムール廟(グーリ・アミール廟) 廟とはお墓のことで、前述のティムール一族のお墓です。ティムールとは、一代で今のヨーロッパ全土に匹敵する面積を支配下に置いた超天才の英雄です。彼が築いた都サマルカンドには、銅像がいたるところにあります。街をつくった偉人の推し方がすごくて、銅像がいたるところにあるの、海外の街あるあるですよね(笑) 廟の中はこのようにライトアップされていました。中がこんなに綺麗にライトアップされているところは他になかったので、力の入れ方や大事にされていることが伝わってきます。 床には石でできた棺がいくつも並べてあり、ティムールの棺だけは大変貴重でお高い黒い石の素材で作られています。小さい子供用の棺もいくつかありました。 これらの説明は、この建物と同じくらい綺麗なお姉さんが英語でしてくれました。英語が通じないという情報が多いウズベキスタンですが、若い人や子供たちは日本人なんかより全然ペラペラで、困ることはありませんでした。 ☆シャーヒ・ズィンダ廟群 その名の通り廟が集まった遺跡群です。とても言いにくい「シャーヒ・ズィンダ」とは「生ける王」を意味します。なぜ「生ける王」なのでしょうか?それはこんな伝説があるからです。 他民族に攻められ斬首された王が、自分の首を拾って地中深い井戸の中にある楽園の庭に行き、現在でも生きている———。 ここは11〜19世紀という長い時間をかけて出来上がってきた遺跡で、現在廟の数は20以上にものぼります。 もう一つ、ここには面白い言い伝えがあります。 入って最初にある階段の段数を数えながら上り、帰りもその数と一緒なら天国に行ける というものです。この階段は「天国への階段」と呼ばれています。私はよくガイドブックを読まないまま行ってしまったので、段数は数えていません…。皆さんはぜひこの言い伝えを思いだして実践してみてください。でももし一緒にならなかったら地獄行きだと考えると、無理やりでも合わせてしまいそうですね(笑) 中はやっぱりとてもきれいです。ライトアップされていない廟や、装飾が少なく白い壁だけの廟もあったりしますが、それは身分の差なのでしょうか。歩くだけで探検気分になれて楽しいので、行くか迷いましたが少し足をのばして良かったと思いました。 サマルカンドはこのほかにもまだまだ見どころがあります。遺跡だけでなく、市場(バザール)を歩くのも楽しいです。特にバザールで売られているサマルカンドナンは有名です。ナンといってもインドカレー屋さんで出てくるようなナンではなく、洗面器くらいのパンで、ベーグルとかに似ています。値段は破格の40円。観光客価格で40円だとしたら地元の人はいくらで買っているのでしょう…。値切って40円にしてもらったのですが、後から計算して「私たち何を値切っていたんだろう…」と爆笑してしまいました。サマルカンドのナンは材料が同じでも、気温や湿度によって他では焼けない独特なナンなのだそうです。水をかけて焼き直せば2年経っていても食べられるといわれますが、私は日本に持って帰ってきて2週間でカビだらけになりました(笑)あくまでもウズベキスタンでの話なので鵜呑みにしてはいけないですね! 地元の人も来る市場だと治安が心配かもしれませんが、危ない雰囲気は何も感じませんでした。ただ、これから紹介するブハラのバザールには物乞いがいたので、気は抜かないようにした方が良いと思います。 所要時間(徒歩) ティムール廟〜レギスタン広場 10分 レギスタン広場〜シャーヒ・ズィンダ廟群 15分 (この途中に大きなバザールがあります。日本人にここでたくさん会いました!) 次回は砂漠の街ブハラについてご紹介します!