読みもの
東洋と西洋が混在するエネルギッシュな街、香港。
日本から飛行機で約4時間。
100万ドルの夜景で知られる香港。
驚くかもしれませんが、香港は約150年前までは小さな漁村でした。
それが現在では、世界的に重要な経済の中心地となり、年間約2700万人以上が訪れる、アジアを代表する国際都市です。
香港を語る上で忘れてはならないのが、1843年から1997年までの間、英国の統治下にあったということ。
現在でも街のあちこちにはその名残が多く見られます。
観光スポット巡り、ショッピング、グルメなど、旅の目的は様々。
限られた滞在期間でも、ちょっと視点を変えることで、見えて来る歴史や文化的背景を通して、その国をさらに深く知ることができます。
今回注目したいのは、香港の通り名の由来です。
香港の通り名を記した看板には、公用語である広東語または北京語と、英語の二ヶ国語表記になっています。
その中には、
・「湾仔(WAN CHAI)」のように、先にあった中国名を英語の発音に換えたもの
・「威霊頓街(WELLINGTON ST.)」のように、英語名を広東語の発音に換えたもの
・「北角(NORTH POINT)」のように、先に中国名があり、のちにその意味を英語で表したもの
・「皇后大道(QUEEN’S ROAD)」のように、先に英語名があり、のちにその意味を広東語で表したもの
・「金鐘道 (QUEENS WAY)」のように、中国名と英語名が無関係のもの
が、あります。
英国統治下にあった際、英国人がわかりやすいよう表記を変えた通り名が多くあり、現在もそのまま使用されています。
そんな英語の通り名の中でも重要な通り名が、英国のヴィクトリア女王から取って付けられた、中環の 「QUEEN’S ROAD」だと言われています。
香港の中心である中環、そして女王を意味する重要な名前である「QUEEN’S ROAD」 の1番地に建つのが、香港島で最初の高層ビル、香港上海銀行(HSBC)の香港本店ビルです。
そのことからわかるように、香港が小さな漁村から金融ビジネスの中心地へと変わる第一歩が、英国人によって名づけられた、「QUEEN’S ROAD」から始まっていると言っても過言ではありません。
そしてもう一つ。
英国の統治下にあった香港ですが、第二次世界大戦中は日本の占領下に置かれた時代がありました。現在は、ほとんどその面影はありませんが、当時は英国に関連する名前、または英国人の名前から名づけられた通り名は、日本語の通り名に変更されていたと言います。
英国の影響が大きく、香港の金融や文化を変えたと言われていますが、大通りから路地へ入ると全く違う雰囲気の通りがいりくんでいるのが香港の魅力です。
金融ビジネス中心の高層ビルが立ち並ぶ表通りや、おしゃれなショッピングエリアやレストランが並ぶ通り。そのような大通りから一歩入ると、奥の通りには昔ながらの生活が続く、露店街や問屋街がひしめいています。
約150年余りの長い間に、何度も変更を余儀なくされてきた通り名が、どのように名づけられたのかを知ることで、見えて来る香港の歴史があります。
街歩きの途中には、それぞれの通り名に注目し、その歴史的背景を思い描いてみてはいかがでしょうか。
東洋と西洋が混在するエネルギッシュな街、香港。
ぜひ、その歴史を感じながら歩いてみませんか?
きっと、今まで気づかなかったことが見えて来る、そんな旅になるはずです。